営業時間 | 24時間参拝可能 |
住所 | 大阪市此花区伝法3-1-6 |
最寄り駅 | 阪神なんば線「伝法」より徒歩3分 |
内容 | 延暦23年(804年)遣唐使の航路安全を祈願して祭壇をつくり、一行の帰路を迎えるため澪標(みおつくし)を立てたのがはじまり。澪標住吉神社では住吉大神・天照皇大神・八幡大神・神武天皇・神功皇后が祀られている。豊臣秀吉が大阪城築城の際は伝法口として湾内随一の港であった。 |
営業時間 | 24時間参拝可能 |
住所 | 大阪市此花区伝法2-10-18 |
最寄り駅 | 阪神なんば線「伝法」より徒歩3分 阪神なんば線「千鳥橋」より徒歩4分 |
内容 | 建保3年(1215年)に村と港の繁栄を祈願して伝法村の中心に伝母頭神社として社殿を建立した。文禄元年(1592年)に豊臣秀吉が旅の祈願をした際に、社殿奥の森より三足の鴉が現れて数々の瑞兆を示した。そして、無事に帰国した秀吉によって「鴉宮」の名がおくられた。江戸時代に神領が没収されるなど衰退したが、明治になり復興する。本殿・拝殿・中門及び透塀は国の登録有形文化財である。 |
営業時間 | 24時間参拝可能 |
住所 | 大阪市此花区梅香3-14-16 |
最寄り駅 | 阪神なんば線「千鳥橋」より徒歩3分 |
内容 | 天正年間(1573~1593年)に土地が開墾され浪速八十島と言われ、慶長の頃には漁業を営む人々が多かった。そのため、海上安全の守護神である住吉大神を崇敬していたこともあり、元和年間(1615~1624年)に住吉大社から分霊を千鳥橋下方中津川沿岸(四貫島元宮町)に勧請したことが始まり。御祭神は、住吉大神(底筒男神・中筒男神・表筒男神)・息長足姫命(神功皇后)である。宝暦5年(1755年) に 四貫島大通1丁目に遷座した後に1921年(大正10年)に大阪市電の敷設のために現在地に移動する。昭和20年(1945年)に大阪空襲で全焼するが昭和38年(1963年)に復興された。 |
営業時間 | 24時間参拝可能 |
住所 | 大阪市此花区西九条1-4 |
最寄り駅 | 阪神なんば線・JR環状線「西九条」より徒歩3分 |
内容 | 貞享年間(1680年)に創建された神社であり、西野神殿に入植した人々が五穀豊作を祈り稲荷大社と海上安全の守護神として住吉大神を祀ったことが始まり。明治40年(1907年)に茨住吉神社の行宮所となり、昭和21年(1946年)に社名を西九条神社となった。 |
営業時間 | 24時間参拝可能 |
住所 | 大阪市此花区春日出中1-6-21 |
最寄り駅 | JRゆめ咲線「安治川口」より徒歩13分 |
内容 | 明治時代に朝日神明宮(大阪市中央区)皇大神社(大阪市此花区)を合祀して、社号を朝日神明社になった。その際に春日神社(現・此花区春日出)と安喜良神社(西区阿波座)を合祀した。朝日神明宮は浪速三神明の1つであり平貞盛が平将門を討ち取ることを祈願した神社で朱雀天皇より「朝日宮」の社号を贈られた。また、源義経と梶原景時が「逆櫓の論」をしているが源義経が平家打倒を祈願したことから論争を挑んだとされる。近世では、豊臣秀吉の庇護を受け大坂夏の陣では真田幸村が金色の采配を奉納し出陣したとされる。皇太神社(天保年間創建)は川岸町(南新田)の鎮守神として祀られていた。昭和20年の大阪空襲で本殿等が焼失されたので再建されている。天照皇大神・倭比売命・春日大神・菅原道真が祀られている神社である。 |
営業時間 | 6:00~18:00 |
住所 | 大阪市此花区春日出中1-6-21 |
最寄り駅 | 大阪メトロ(地下鉄)中央線・阪神なんば線「九条」より徒歩5分 大阪メトロ(地下鉄)千日前線・鶴見緑地線「西長堀」より徒歩12分 |
内容 | 寛永元年(1624年)香西晢雲が九条島開発の際に勧請したことが始まり。以降、摂津国西成郡九条村の産土神社となる。昭和20年(1945年)3月に大阪空襲で全焼する。そのため、昭和40年(1965年)に再建された。祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命・息長足媛命を祀っている。 |
営業時間 | 24時間参拝可能 |
住所 | 大阪市此花区島屋3-13-28 |
最寄り駅 | JRゆめ咲線「安治川口」より徒歩5分 |
内容 | 宝暦12年(1762年)大坂の島屋(浅田市兵衛)が正蓮寺川左岸の一角に新田の鎮守神として創建したことが始まり。明治44年(1911年)に恩貴島北之町(酉島町)の皇太神宮を合祀している。昭和9年(1934年)の室戸台風で損失したこともあり、現在地へ移動している。 |
営業時間 | 7:00~18:00 |
住所 | 大阪市中央区博労町4-1-3 |
最寄り駅 | 大阪メトロ(地下鉄)御堂筋線・四ツ橋線・中央線「本町」より徒歩5分 大阪メトロ(地下鉄)御堂筋線・四ツ橋線・鶴見緑地線「心斎橋」より徒歩5分 |
内容 | 創建は反正天皇の時代に、現在の大阪府松原市に仁徳天皇を偲んで建立されたことが始まりである。天慶6年(943年)に現在の大阪市天王寺区に遷座したが豊臣秀吉によって現在の地に移された。しかし、慶長20年(1615年)の大坂の役後には江戸幕府により境内地の9割が没収される。昭和20年(1945年)の大阪空襲により全焼したが、昭和49年’(1974年)に再建された。 |
営業時間 | 10時~12時/13時~16時 |
住所 | 大阪市西淀川区姫島4-14-2 |
最寄り駅 | 阪神電車「姫島駅」徒歩6分 |
内容 | 主祭神の阿迦留姫命(アカルヒメノミコト)は、新羅の王子の妻になったが夫に愛想をつかせて「わたしはあなたの妻となるべき女ではありません。祖国に帰ります。」と難波へ逃避行している。夫を捨て海を渡り再出発した阿迦留姫命は「決断と行動の神様」「美の神様」として信仰を集め、再起復活、女性の招福開運・心願成就、美人祈願が願われている |
営業時間 | 24時間参拝可能 |
住所 | 大阪市西淀川区百島1-3-98 |
最寄り駅 | 阪神なんば線「福」より徒歩5分 |
内容 | 正保元年(1644年)に土地の開発がされ、多くの人々は漁業を営んでいたこともあり航海の安全と大漁を祈願して明暦2年(1656年)に、神崎川沿いのこの地に宮地を築き、殿舎を建て住吉大神を勤請した。御祭神は、表筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后である。太平洋戦争中は焼夷弾が淀川にばかり落ちたり、場所的に多い水害でも致命的な被害がなかったことから厄除けにも効きそうな神社である。 |
営業時間 | 24時間参拝可能 |
住所 | 大阪市西淀川区大和田5丁目20-20 |
最寄り駅 | 阪神本線「千船」より徒歩5分 阪神なんば線「出来島」より徒歩9分 |
内容 | 元応2年(1320年)に勧請され創建されたことが始まりで、付近の漁民や舟行安全の守り神として信仰されている。主祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命・気長足姫尊であり、西淀川区に五社鎮座する住吉神社の一社になる(他は、野里住吉神社・福住吉神社・大野百島住吉神社・西島住吉神社)。明治44年に皇大神宮社(現在跡地は白天宮になっている)を合祀している。 |
営業時間 | 24時間参拝可能 |
住所 | 大阪市西淀川区中島1丁目2-8 |
最寄り駅 | 阪神電車「出来島」より徒歩6分 |
内容 | 元禄元年(1688年)に中島の新田開発の際に勧請されたことが始まりであり、明治5年に村社になり、明治43年(1910年)には西島の住吉神社を合祀された。主祭神として天照大御神・豊受大神・住吉三神・素盞嗚尊・火之迦具土神が祀られ、末社は龍王社・金比羅宮・靖国社・水天宮神社(天御中主神・国狭樋大神)・稲荷大神がある。 |
営業時間 | 24時間参拝可能 |
住所 | 大阪市西淀川区出来島1-10 |
最寄り駅 | 阪神電車なんば線「出来島」より徒歩5分 |
内容 | 元禄元年(1688年)に摂津福井村の倉橋屋彦四郎兵衛によって出来島新田として干拓された。干拓地に住民が移り氏神として皇大神宮を奉斎して長く信仰していた。しかし、明治の終わりには氏子が37戸のみとなり明治44年に大和田住吉神社に合祀されることになった。しかし、その後神崎川改修の際に大木を伐採した時に事故がおこったために祟りと恐れられ祠が建てられたのが始まりである。 |
営業時間 | 夜間閉門 |
住所 | 大阪市福島区玉川1-4-5 |
最寄り駅 | 京阪電車中之島線 「中之島」より 徒歩3分 大阪メトロ(地下鉄)千日前線「玉川」より徒歩7分 大阪メトロ(地下鉄)千日前線・中央線「阿波座」より徒歩11分 JR西日本東西線「新福島」or大阪環状線「福島」より徒歩10分 阪神電車「福島」より徒歩10分 |
内容 | 901年に菅原道真が大宰府へ配転された際に、海路の平穏を祈って参拝されたと伝えられている。また、天満天神の夏祭りでの「船渡御」での鉾流し神事において、堂島川のその鉾の流れ着いたところに行宮の位置を決めていた際に、流れ着いた時の行宮跡とする説がある。また、菅原道真は飢餓島と呼ばれていた地域を福島と名付けたとされる。元禄時代に現在の拝殿が建てられ、1907年(明治40年)に豊光神社を合祀した。 |
営業時間 | 6:00~18:00 |
住所 | 大阪市福島区福島2-8-1 |
最寄り駅 | JR東西線「新福島」より徒歩2分 阪神電車「福島」より徒歩2分 JR大阪環状線「福島」より徒歩5分 京阪電車中之島線「中之島」より徒歩5分 |
内容 | 菅原道真が藤原時平の陰謀により大宰府へ配転させられた際に、当地の里人徳次郎が旅情を慰めたことをいたく喜ばれ、この辺りを餓飢島と呼ばれていたのを福島と名づけられた。後年、大宰府で菅原道真がなくなると祠を建てたのが延喜7年(907年)である(創建)。主祭神は菅原道真、相殿神は大国主命(おおくにぬしのみこと)・事代主命(ことしとぬしのみこと)・少彦名命(すくなひこのみこと)である。 |
営業時間 | 24時間利用可能 |
住所 | 大阪市福島区玉川4-1-1 |
最寄り駅 | 大阪メトロ(地下鉄)千日前線「玉川」より徒歩5分 JR大阪環状線「野田」より徒歩7分 JR東西線「海老江」・大阪メトロ(地下鉄)千日前線「野田阪神」より徒歩9分 阪神本線「野田」より徒歩10分 |
内容 | 創建は不明だが、神社に保存されている「御影石」の建石には「ゑみすのみえ」と刻まれ側面に永久三乙未年三月」と刻まれているため1115年が推定される。この地域は漁業も盛んであったことから漁民の守り神として信仰されていたと考えられる。戦国時代には野田城の一部になっており武士たちからも信仰された。主神祭は恵美須大神、天照皇大神、八幡大神になる。 |
営業時間 | 24時間利用可能 |
住所 | 大阪市港区磯路2丁目18−23 |
最寄り駅 | Osaka Metro中央線「弁天町」徒歩5分 JR環状線「弁天町」徒歩5分 |
内容 | 天照皇大神、豊受大神、住吉大神、熱田大神、斎主大神、秋葉大神を祀っており、大神をあわせて「三社大神」(さんしゃのおおかみ)と呼んでいる。夏まつりでは門前の大通りを歩行者天国にして盛大に行われている。 |
営業時間 | 24時間 |
住 所 | 茨木市天王1-1-22 |
最寄り駅 | 大阪モノレール「宇野辺」より徒歩8分 阪急電車・大阪モノレール「南茨木」より徒歩9分 JR京都線「茨木」より徒歩10分 |
営業時間 | 24時間 |
住 所 | 茨木市沢良宜西1丁目16−31 |
最寄り駅 | 阪急電車・大阪モノレール「南茨木」より徒歩6分 |
営業時間 | 24時間 |
住 所 | 茨木市美沢町9-27 |
最寄り駅 | 阪急電車・大阪モノレール「南茨木」より徒歩7分 |
営業時間 | 24時間利用可能 |
住所 | 大阪府吹田市垂水町1丁目24-6 |
最寄り駅 | 阪急電車千里線「豊津」から徒歩10分 大阪市営地下鉄御堂筋線「江坂」から徒歩15分 |
内容 | 創建は不明だが、孝徳天皇(645年~654年)の治世時に、旱魃により難波長柄豊碕宮で水不足になった際に、阿利真公(豊城入彦命六世孫)が「垂水岡」から高樋で水を通したこと功績から阿利真公は「垂水公」の姓を賜り、垂水神社を管轄した。 |
営業時間 | 24時間利用可能 |
住所 | 高槻市春日町8-14 |
最寄り駅 | 阪急電車「高槻」より徒歩18分 高槻市営バス「春日町」より徒歩3分 |
内容 | ご由緒の看板がなく、神主がいない神社の様なので詳しい創建は不明である。ただ、鳥居が安政7年(1795)に建造されていることから、200年以上の歴史がある神社である。速素戔烏命、天児屋根命、応神天皇を祀った神社になります。 |
営業時間 | 24時間利用可能 |
住所 | 高槻市富田町2-13-13 |
最寄り駅 | 阪急電車「富田」より徒歩8分 JR「摂津富田」より徒歩9分 |
内容 | 戦前は高槻市の南側にある摂津市の正雀にあった軍需工場の守り神であった神社になります。かつては、敷地500平方メートルの広大な社だったが、昭和44年(1969年)に現在の地に移転してからは小さな神社となった。。 |
営業時間 | 24時間利用可能 |
住所 | 兵庫県尼崎市大物町2丁目7-6 |
最寄り駅 | 阪神電車「大物」より徒歩3分 |
内容 | 創建は不明であるが、神崎川に形成された三角州の一つに祀りの場として建てられた。平安時代の後期には厳島神社の祭神を勧請合祀している。また、平氏追討のために大物浦から船出する際に、大物神社の東側の七軒長屋に一時滞在をしている。 |
営業時間 | 24時間利用可能 |
住所 | 兵庫県尼崎市金楽寺町2丁目17−1 |
最寄り駅 | 阪神電車「大物」より徒歩10分 |
内容 | 吉備真備がこの地に錦楽寺を造営して唐から持ち帰った土を埋め祠を建てて 一品天神として祀ったことが史料に残されている。 境内には貝塚も発掘されている。 |
営業時間 | 24時間利用可能 |
住所 | 兵庫県尼崎市東本町4丁目61 |
最寄り駅 | 阪神電車「大物」より徒歩8分 |
内容 | 元和年間(1615年~1624年)に稲荷社として祀られたことが始まりで、安政6年(1859年)頃に社殿が再建された。当初は、お茶屋橋南岸の松島の地に鎮座されていましたが明治6年(1873年)に現在地に遷御されている。 |